岐阜城(稲葉山城)は、麒麟が来るで大盛り上がり⁉
孫と行く金華山と岐阜城。
戦国時代大好きな孫と一緒に「岐阜城」へ行ってきました😊
岐阜城は、今や「麒麟がくる」で大盛り上がり!
ロープウェイにも乗れるし、なかなか素敵なところでした。
しかし、この城は
ロープウェイを降りたところからも結構歩くし、まぁ、息があがりましたよ。
疲れるけれども、行く価値ありな「岐阜城」
「大河ドラマ館」も1月11日からオープンしていますからね、
ぜひ行ってみてくださいね。
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岐阜城の歴史をざっくりと。
岐阜城は稲葉山城と呼ばれていたお城です。
金華山山頂にはじめて砦を築いたのは鎌倉幕府執事の二階堂山城守行政という人だと伝えられています。
戦国時代に信長の嫁、帰蝶様のお父様「斎藤道三」が住んでおられました。
「麒麟が来る」ではモックンが演じていますね。
こんな美形な「斎藤道三」は見たことが無くて、道三さんの印象がガラッとかわってしまったんですけれども。
で、その後は、息子の斎藤義龍が謀反をおこしてからの急死、13歳の息子竜興が家督をつぎ、竹中半兵衛ら家臣がこれまた挙兵し、城を占領・・・と色々とあります。
岐阜城の名を天下に示したのは、織田信長がこの城と、この地方一体を平定して、土地の名前も「井の口」から「岐阜」に改称してからです。
信長公は、岐阜城を天下統一の本拠地とし、嫡子信忠を岐阜城の城主とするのですが・・・。
後に、「本能寺の変」で、信長は本能寺で、信忠は二条城で、それぞれ倒れます😢
主を失った岐阜城には、清須会議により、信長の三男、信孝が入りますが、後の「賤ケ岳の戦い」で信長の次男、信雄が岐阜城を包囲。信孝は切腹します。
次の岐阜城藩主は、織田家の家臣池田恒興の子、池田元助。
しかし、小牧・長久手の戦いで恒興・元助ともに死亡。
なので、恒興の次男池田輝政が次の岐阜城の城主になります。
それから、転封により、豊臣秀勝が岐阜城城主になり、秀勝が無くなると、次に岐阜城に入ったのは、なんと、本能寺の変で亡くなった秀忠の息子、三法師こと織田秀信。信長の孫ですね。
ところが、この秀信、関ケ原の戦いで西軍につくのです。石田三成のほうですね。
なので、関ケ原の前哨戦で、福島正則やらに攻められて、落城するのでした。
その後は、徳川家康により岐阜城は「廃城」。岐阜城にあった天守や石垣などは、加納城に使用したのだとか。
個人的には、岐阜城の城主になった方、あまり良い最後をとげていない事が気になりますね・・・。
岐阜城再建~♬
そんな感じで、現在の岐阜城は、昭和31年に復興されました(^^♪
■鉄筋コンクリート作り
■三層四階構造
■延べ461.77㎡
■棟高17.7m
立派なお城に復活です♥
平成23年に、金華山一体は、岐阜城跡として国史跡に指定されています。
パチパチ👏
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岐阜城に行こう。
岐阜城には、金華山ロープウェイに乗って行きます。
ロープウェイの値段や時間などの詳細はこちらをどうぞ😊
麒麟が来るで大盛り上がり、するはずの岐阜城ですが、
ここのところの「コロナ騒動」で、出かけるのをためらっている方もいますよね💦
でも、この騒動が終息したら、ぜひ遊びに行ってみて下さいね~。
「大河ドラマ館」って、期間限定なので、開館している時に行っておかないと、とても後悔するんですよね(笑)
ではでは✋続きはこちらです~(^^)/
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