親が逝ってしまった時。後からくる「後悔」

もう一度話がしたい。受け入れられない親の死

先日、父親が突然逝ってしまいました。

今年も桜が見れないな・・などと言いながら。

2年ほど前から、白血病を患っていましたが、年齢的に進行も遅く、幸いな事に、痛みや苦しみもなく、抗がん剤治療も必要ない、という事で、普通に暮らしていた父。

死因は、「心不全」でした。

病気とはいえ、足が不自由になった以外は元気だったので、ほとんど「急死」という事になります。

あまりに突然で、心のもっていきようがなく、お骨になってしまった今でも信じられない気持ちです。

こんな時、人はどうやってたちなおるのでしょうか?

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その時は突然やってきた。

父は、病気になってから足が弱くなり、捕まらなければ歩けなくなってしまいました。しかし、外でも杖があれば自分で歩けます。

亡くなる丁度一週間前にも、普通に歩いてエスカレーターにのり、病院の定期健診に行っていました。

白血病の定期健診では、異常はなく、特に悪化したわけではありません。

それから5日後、自室がある2階から降りて来て、トイレに行った後、完全に歩けなくなり、倒れてしまいました。

母から連絡を受けてかけつけたところ、父は1階の布団で寝ていました。

母が、1階に布団を敷き、父を引きずって布団に寝かせたという事だそうです。

「病院に行こう。」

というと、

「今、病院に行ったらもう帰ってこられないから、もう少しだけ家にいさせてくれよ」

と。

普通に話をしていました。

「歩けなくなっただけじゃん」

などと返事をし、母と、次に倒れたら救急車を呼ぶ、と決めました。

その夜、またトイレの後に倒れたので、救急車で病院へ。

翌日の朝5時まで、病院で待たされ、父は入院。私と母は一度帰宅しました。

 

 信じなかった「宣告」

朝の10時頃、お医者様から話があるからすぐに来てくれとの連絡を受け、慌てて再度病院へ。

そこでお医者様から

「今はまだ喋れるけれども、いつ急変するかわからない。連絡だけはとれるようにしておいてください」

病状とともに、そんな宣告をされました。

しかし、父の所へ行くと、息は苦しそうなものの、よく喋るのです。

私は、20年以上前に、義父を亡くしていますが、その時の義父は昏睡状態が長く続き、「危ない」と連絡を受けてから、3日も4日も病院へ通った記憶があります。

そのせいか、父が元気に喋るので、

「元気じゃん」と思ってしまいました。

昨年も「もうだめかも」という状況で入院した父ですが、見事に復帰を果たしていますので、亡くなるとは全く思っていませんでした。

母も同じです。

しきりと「ここにいても、看護婦さんの迷惑だからもう帰ろうよ」

と言っていました。

しかし、これに私は

「だめだよ、いつ話ができなくなるかわからないんだから」と答えています。

私には「きょうだい」がいます。その「きょうだい」に連絡をするように母に言いました。

ところが「きょうだい」は、

「明日行く」と言ったらしいのです。それに母も

「そう、明日ね、お父さん元気だから」などと言っていました。

結局お医者様に、

「仕事が終わってからなどと言っていないで今すぐ来たほうが良いですよ」

と言われ、「きょうだい」も父と会いました。

「きょうだい」も

「お父さん元気じゃん」などといっていました。

そして、5時頃帰宅してしまったのです。

面会時間は7時まで。

父は母に

「ここに寝て行けよ」と言っていました。

それを私たちは、笑って、

「明日またくるから。時計もってくるからね」

などと言って帰ってしまいました。

これが最後の会話です。

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トラウマになってしまった「早朝の電話」

翌日、私はいつも通り朝のウオーキングを終えて家に帰ってきたところ、

まだスマホにイヤホンが付いている状態で電話が鳴りました。

もちろん嫌な予感しかしません。

慌てて電話に出ると、イヤホンがついているため、声が聞こえません。

イヤホンを引っこ抜いて相手の声が聞こえてきました。

「今容態が急変した」

「何分ぐらいかかりますか?」

「もしかしたら間に合わないかもしれない」

そういわれました。

母に連絡をするも、母は何と電話に出ません。

あれほど、電話に出れるようにしておいてね、と言っていたのに。

私が直接病院へ行けば、20分ほどで到着しますが、母を迎えに行っていたら40分はかかってしまうのです。

しかし、妻である母を連れて行かないわけにはいかないので、顔も洗わず車に飛び乗り実家へ急ぎました。

母は、大きな音でラジオを聞いており、家電は1階におきっぱなし。

これでは電話に出れるわけがありません。

私はこの時、かなりイラッとしてしまいました。

しかし、母もこんな時間に父が急変するなどとは思っていないのです。

余談ですが、私は今もウオーキングから帰ってくると電話が鳴るような気がして、かなりトラウマになってしまっています。

 亡骸

病院に着くと、もう父はなくなっていました。

取り付けられた機械は「0」表示。

ピクリとも動いていませんでした。

「間に合わなかったね」

母に言っても、母はまだ生きていると思っていたようです。

お医者様は、家族が来るまで死亡確認をしません。

本当は、私が連絡を受けた10分後くらいにはなくなってしまっていたようです。

しかし、死亡確認は朝7時31分という事になります。

お医者様が来て、死亡確認と言うと、初めて母は父が亡くなったと気づいたようです。

母はかなり動揺していて、今でも

「着いた時はまだ生きていたじゃない」などと言っています。

その後、

「体に付いた管をとって、きれいにしてあげましょう」

とお医者様に言われても、母は、父から離れようとせず

「目をあけてよ」と泣いていました。

暫くは好きにさせておいてから

「管を外してあげようよ」と言うと、

「だって、外したら死んじゃうじゃない」と母は言いました。

私は・・・

父の死のショックと同時に、1人になってしまった母の事を考えると何ともいえない気持ちになってしまいました。

・・・お父さん、どうして死んでしまったんだよ。死んだら困るっていったのに・・・。

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後悔

父が亡くなってから、

「どうして医者の言う事を信じなかったんだろう」

と後悔してやみません。

正直、もう完全に歩けなくなってしまうけれど、家に帰ってくると思っていたと思います。

それにしては、母に「話せるうちに話しておかないと」

と言ってもいます。

もしかしたら、「死ぬはずがない」という願望があったのかもしれません。

そして、

「なぜ面会時間終了まで一緒にいなかったんだろう」

と。

それから、「一人で旅立たせてしまったこと」についても後悔しかありません。

普通に会話をしている時は、死ぬ事を前提に「ありがとう」なんて言えません。そんな事を言ったら、まるで「お父さんもうすぐ死ぬんだよ」と言っているようなので。

なので、何も言えず、くだらない話ばかりでお別れしてしまうことになりました。

今でも遺影を見ると、もう一度話がしたい、とそればかり考えてしまいます。

辛いです。

しかしながら、わたしのきょうだいは、少し違います。

「最後に話ができてよかった」らしいです。

これにはびっくりしました。

この温度差は、近くにいた者と、全く会いに来なかった者との違いでしょうか?

 

温度差

私の父は、本当に怒ってばかりいる、小うるさい父親でした。

しかし、足が悪くなって、耳が遠くなってからは、

ただのかわいいおじいちゃんでした。

病院へ連れて行けば

「ありがとね」

買い物に行こうといえば

「悪いね」

「お前が来るのを待ってたんだよ」

「お前がいないとどこにもいけない」

などと、元気な時には絶対に言わないようなことを言っていました。

正直、ちょっと拗らせている母よりも扱いやすかったです。

「きょうだい」は、同じ県内に住んでいながら、父が病気になってもろくに顔もみせていません。

なので、そんな「ただのかわいいおじいちゃん」になってしまった父の姿を知りません。

「ありがとう、なんて言われたことがない」

と言っていました。

私からすれば、それはそうだ。ありがとうと言われる事をしていないんだから。という感じですけれど。

きょうだいは、父が亡くなって、病院で葬儀屋を待っている間から、ずっと仕事の事を心配していました。

「葬式はいつだ」と。

要するに、早く葬儀をしないと、仕事に行かれない、という事です。

「昼には葬儀屋が来るんだから、それまで待てば」と言いました。

 

きょうだいは、

「何もできなかったらか葬儀代は自分が出すから」と言っていました。

そうだ、全部出せばいい。

そう思いました。

 

家族を思って亡くなってくれたんだ。

父が亡くなる前、

「帰ってきてももう歩けないからどうするかね」

と母と話をしていました。

バリアフリーなどにはできない小さな自宅で父を介護するのも至難の業です。

父の「エンディングノート」には施設に入りたい、家族に迷惑をかけたくないと書かれています。

父は、結局歩けなくなって1日半で亡くなってしまいました。

それまで、自分でトイレに行き、お風呂に入っていたので、私たち家族は介護と呼べるようなことはしていません。

そして、ぼけてもおらず、私に

「確定申告に行ってくれ」と、まとめてあった書類の場所を教えてくれていました。

介護というのはきれいごとではすまないと思います。

経験はありませんが、「介護殺人」などがあるくらいなので、想像はできますよね。

もしも、歩けない父が家に帰ってきて、介護が始まったとしたら、あまりの大変さに、私たち家族は「早く死んでくれ」と思ったかもしれません。
亡くなっても悲しまなかったかもしれません。

父は、家族に迷惑をかけないように、また、自分も施設などにお世話にならないように、と急いで旅立っていったのかもしれません。

そうでも思わないと、とてもやっていられません。

無理にでもそう思おう、と母と言っています。

そして、父がいる、と思うと、自分が死ぬのも怖くなくなります。

亡くなり方としたら、最後まで自力で歩け、ぼける事もなく、病気とはいえ痛みに耐えていたわけでもなく、孤独死したわけでもなく・・・と、考えると、少し羨ましいような理想的な最後だったのかもしれません。

入院費の事も考えてくれていたのかもしれないです。

「おむつを2枚も使ってしまって金がかかるじゃん」

などと笑って言っていたので。

せてめ家族が来るまででも「延命治療」をしてほしかったと思いますが、

一度延命をしてしまったら、家族が来ても中止するわけにもいかないだろうし、なかなか難しいですよね。

もうあと数分頑張ってほしかったのですけれど、

父は、苦しむこともなく、体の全ての機能が低下していって亡くなってしまったのです。

享年83歳で、今の世の中では「大往生」と呼べるかどうかわかりませんが、父が家族を思って亡くなって行った、と思うと少しだけ気が楽になります。

私は、50歳を前にして

「父親のいない子供」になった気分になってしまって、とても寂しいですけれど、

少しずつ、普通の生活に戻れるように頑張っているところです。

避けては通れない「親の死」ですが、想像以上にキツかったです。

何でもそうですけれど、後は時間が解決してくれるのを待つしかないですね。

もっと若くして親を亡くしている方もいるというのに、私は、本当にヘタレです💦

この記事は、私が父を忘れないためにと備忘録のようなものです。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました🙇

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